2010年1月31日日曜日
避難訓練&誕生日 動画
2010年1月30日土曜日
院長アイダさんの誕生日




2010年1月29日金曜日
防災訓練




2010年1月28日木曜日
2010年1月27日水曜日
西方三博士の来訪




2010年1月26日火曜日
月曜だけどウラワビーチ




2010年1月25日月曜日
ニュースレター30号


2010年1月24日日曜日
土砂降りの土曜日




2010年1月23日土曜日
ウラワ模様替え・大画面映画




2010年1月21日木曜日
サワムラ帰還



2010年1月19日火曜日
ハウスオブジョイの原点を思う

いろんな事があった。マリアフェのお母さんの逝く時の不思議の出来事(ホームページ参照)そのマリヤフェも今は17歳ロジャーは12歳(サッカー選手)ジェフリーは学校に行かずにプラプラしている。(また6月から4年生に戻る)みんな貧しいかった。私も何もなかった。不安だらけだった。だから良く祈った。

この家で6人の家族が暮らし、母は売春婦、父は死刑囚の子供たちが一生懸命に今を生きる。お天道様は不公平か???
この子たちが天使でありますように、ハウスオブジョイが安らぎの場でありますように祈ってください、そしてみんなが幸せな気持ちに少しでも成りますように。
ハウスオブジョイから恵まれない日本の皆様のためにも祈っています。『アーメン』 烏山

2010年1月18日月曜日
ハウスオブジョイの原点を見つめる

クリスチーナの物語
ダバオ市内にあるアメリカの修道院が運営するNGOのパーカップから電話連絡が入った2003年の夏であった。子どもたちは7人兄弟姉妹で長女のクリスチーナ(当時13歳)を始め、女の子5名、男の子2名の兄弟姉妹はろくに食べるのも無く、貧しい家の中で静かに暮らしていた。事情を聞くとお父さんとお母さんが大喧嘩して先ずお母さんが蒸発、そしてお父さんも帰ってこない、この地域は立ち退きで強制的に他の貧しい地域から移り住んでいる人々で、特に貧しい人たちの集まった地域である。みんな一日自分の家族が食べることでぎりぎりのひとたちである。だからこの7人の兄弟姉妹を助けてくれる人は誰もいない、唯一NGOのメンバーが時々お米をくれる程度だ。そこで長女のクリスチーナが朝3時に起きて、パナカンの市場(地方の小さな市場)に行き、知り合いのおばさん(近所に人)の野菜販売を手伝い朝6時に家へ戻り小遣いの30ペソでお米を一キロかい最低限の塩、砂糖等を買い、またスープに市場で拾ってきた野菜の細切れを入れ、一日一食の準備を壊れかけの小さな鍋で作っていた。
そんな生活を数ヶ月続けているところで先のNGOから電話をもらった。アイダとNGOの職員と尋ねると、家の中に薄汚れた兄弟姉妹たちがそこにいた。実はお母さんはお父さんの家庭内暴力に耐えかねて出て行ったとも事、その後、父さんも他に愛人が出来て出て行ったとこと、その他にもここでは言えない悪い経験がもっともっとあったことも後々話てくれた。
その後、お姉ちゃんのクルスチーナに直ぐにハウスオブジョイの行こうといって支度をさせたが、持って行くものは何もなかった。『本当に貧しい人は自分の持ち物は何もない』
烏山
2010年1月17日日曜日
サント :ニィーニョのお祭り、やっと実家がみつかりました




2010年1月16日土曜日
土曜,朝5時のハウスオブジョイ




2010年1月14日木曜日
親を尋ねて何十里









